学校の始業式は地域などによって違いますが、うちの子(中1)は今日から2学期開始です。
感染爆発している関西に住んでいるのですが、幸いにも学校の先生も生徒もコロナの感染者は出ることなく、予定通り普通に2学期がスタートです。
しかし、なんとまだ、宿題が一部、終わっていないんですよねm(_ _)m
大人的に見たら、ありえないことです。
しかも、好きなのや得意なのだけ済ませ、読書感想文などメンドイのは残っているというヤバい状況です(^^;)
私は昔から課題を後回しにするプレッシャーに弱いタイプだったので、ことさら早く課題は終わらせていました。
だから、ますます『ありえない〜』『たくさん日数、あったやん〜』と思ってしまいます。
そのせいでここ1週間は、つい娘をせっついてしまい、娘がやる気をなくして作業効率が落ちるいという悪循環に陥っていました。
反省、反省。やるのは娘本人なので、周りがいろいろ言ってもダメよね。
あたたかい目で見守って・・・って、そんなことできるかい!
というような心の中の2つの声に、私自身が振り回された1週間でした。
ここでちょっとご紹介したいのが、たまたま母が録画していてくれたので観た、Eテレの『思考ガチャ!』(思考ガチャ! - NHK)という番組の解説。
『夏休みの宿題がいつもギリギリなワケ』という、まさにわが家の状況とピッタリな内容だったんです。
この番組では、睡眠学や日本文学、行動経済学、宇宙物理学の先生たちが、『なぜ宿題の山を片付けるのがギリギリになってしまうのか?』ということについて、自説を唱えるわけですが、私が『おおっ!うちはそれだ!』と思ったのが、行動経済学の竹内幹先生説。
録画はすぐに消しちゃって、うろ覚えなので間違っていたらゴメンナサイなんですが、人はせいぜい具体的に予定を考えられるのは、1週間=7日分程度、それ以上の日数になると『たくさん』日にちがある、というザクっとした捉え方になるのだとか。
1か月以上ある夏休みは、『たくさん日にちがある♡』となって、なかなか終わりを見込んでの計画が立てられない。
そして、ギリギリになって焦る。
こんなイメージ?
また、宿題の山の前に楽しいこと(旅行とか、友達との遊びとか)があると、その楽しいことに気を取られて、背後にある宿題の山が見えない。
楽しいことが過ぎ去ってふと気がつくと、これまで見えていなかった宿題の山がどど〜んと、大迫力で迫ってくる。
そしてやっぱり、うろたえ、焦る。
\立ちはだかる宿題の山・・・/
そうかそうか、分かる分かる。
1週間先までしか具体的な予定というか、イメージがつかないのだったら、心理学的知見を応用すると、タスクを細分化して
『今日から1週間はここまですればいい』
とやればいいわけですが、それも、なかなか本人のモチベーション不足で上手く進まず・・・。
読書感想文だって、今週は読む本の選定、来週はざっと読む、再来週は構成を考える等々と、ちょっとずつ進めればいいんじゃないかと思うんですが、それはそれで、苦痛が長引く感じで娘は嫌な様子。
じゃあ、さっさと終わらせればいいやん、と思うんですがね~。
難しいな~。
そうこうしているうちに新学期を迎えてしまい、『もう中学生だし、本人の責任ということで、先生にいろいろ言われても、自分で頑張ってもらおう!』という基本に立ち返ることにしました(^^;)
勉強については、私はいわれなくても自分からやるタイプだったので、本当に自分と違うタイプ(娘)は難しいです(^^;)
そういえば、妹が言われないとやらないタイプだったかな。
妹は勉強はあまり率先してする方じゃなかったけど、幸せな社会人生活&家庭生活を送っているので、あんまり中学生のころの勉強に対する態度などは、気にしないほうがいいのかもしれませんね(^^)
愚痴になってしまいましたが、本当にこの1週間、やきもきし通しだったんですよ。
でも、新学期も始まり、あきらめがつきました!
コロナも収束に向かい、日本全国の学生さんが、無事に2学期が過ごせますように!
ではでは
最後までお読みいただき、ありがとうございました!