冬になるとコロナの感染がまた拡大するということは、夏ごろに感染が下火になったときに、あちこちで専門家の方がおっしゃっていました。
わたしもみんなも『冬になると乾燥するし、インフルエンザとのダブル流行もあるかもしれないし、やばいぞ~』というのは分かっていたと思います。
しかし夏以降、Go To に浮足立ち、そのまま冬に突入し、案の定の感染超拡大です.
Go To については、わが家はトラベルもイートもけっこう利用しました。
使っていたときは神制度だったので、あまり文句はいいたくないのですが、感染が収まっていないのにやっちゃって、やっぱりまずかったんだろうな~と思います。
それで感染が広がった面もあるでしょうし、『Go To キャンペーンやってくるくらいだから、なんだかんだいって大丈夫なんじゃないかい?』と、私の場合、気のゆるみにつながりました。
そして緊急事態宣言です。
私が住む関西圏でも、もうすぐ出されるんだろうなと思います。
緊急事態宣言自体は出すのが遅すぎたくらいなんでしょうが、やっぱりいざ出ると、いつ解除になるかわからないしショックです。
子供の小学校は今日からスタート
子供が通う小学校は、今日から3学期がスタートです。
今日は普通のスケジュールで登校したのですが、先々どうなることやら。
政府からの休校要請はないようですが、子供の担任の先生と話をしたら、『今後、どうなるかまったく分からないけど、分散登校くらいはするかもしれない』とのことでした。
うちの娘は現在小6ですが、卒業式もどうなることやら(--;)
昨年は、規模を縮小して、いつもは在校生代表として出席する小5の出席はなしで、6年生だけで卒業式をしていました。
今年もその形か、さらに進んでクラス単位での卒業式になっても、おかしくない状況のように思えます。
さらにさらに、卒業式の前に中学受験がひかえています。
うちの子の受験日は1月16日と17日なんですが、さすがにそれはもう間近なので、『予定通り、実施する!』と思っています。
2月頃に受験の関東方面の方は、感染状況がどうなるかわからないので、もっと心配されているんじゃないかと思います。
正常性バイアスという言葉を思い出す
最近の一連の流れをみていて、『正常性バイアス』という言葉を思い出しました。
災害時によく使われる心理用語です。
内容は、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりして、自分に被害が予想されることでも、日常生活の延長と捉えてしまい、対応の遅れの原因となるというやつです。
少々の異常については、正常の範囲内として無視することで心的な安定を保つためのメカニズムであり、このバイアスがあるから楽に生きられるという側面もあります。
『自分は大丈夫』『たいしたことないや』『まだ大丈夫♡』という考えですね。
これらはみんな私の好きな言葉であり考え方なんですが・・・。
問題は少々の異常じゃなかった場合、逃げ遅れや対応の遅れにつながるなどして、命を失ってしまうんですよね。
火山の噴火で記念に噴煙を撮影していて逃げ遅れるなんて、これです。
夏から最近までの、Go To トラベルやイートに代表される緩んだ感じの行動は、これと『楽観』(←これも災害時に陥りやすいバイアス)が合わさったものという気がします。
実は今でもわたしは、これだけ感染が広がっていて、混み混みの大阪の中心地を通って通勤しているのに、心の片隅で『私は大丈夫』『私の家族も大丈夫』と思っているところがあります。
緊急事態宣言が出ても、自分の周辺には出ていない感覚になっちゃってるんです。
この文章を書きながら、『これって、かなりまずいんだろうな』と改めて気づかされています(--;)
おわりに
正常性バイアスは、平時では心的エネルギーを節約できるので合理的なんですが、本当の危険に直面した時に不意打ちをくらって、どえらいことになってしまうんですよね。
医療崩壊も懸念される状況なので、もはや平時とはいえない状況で、ほんまにヤバイ状況なんだろうと思います。
この正常性バイアスや楽観バイアスに引きずられない方法は、冷静な現状分析とその分析にみあった迅速な行動です。
つまり、今、わたしがやるべきことは、手洗い消毒、うがいを徹底し、フラフラとコンビニやデパ地下で目新しいものを見てまわらず、通勤などの用事がなかったら不用意に外出しないことかな。
えっ、これって前から政府が言っていることじゃん。
とつまらない結論になってしまいましたが、『まさか私が!?うちの家族が!?コロナになるとは思わなかった』とパニックにならないように(やることをきちんとしていても、コロナになるときはなってしまうんでしょうが・・・)、『冷静に』『自律的に』と自分で自分に声をかけて、しばらく生活しようと思います。
早くコロナが収まりますように!
では、今日はこのあたりで!