2019年に日本中で大ヒットした『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の続編、そして完結篇でもある『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』を読みました。
1冊目を読んだときは、内容そのものに加え、『ぼく』が通う元底辺中学校や社会の在り様そのものに大衝撃を受けました。
2冊目の今回は、舞台となるイギリスのブライトンの状況が1冊目で分かっているので、最初ほどの衝撃はなかったのですが、やっぱりとっても考えさせられ心が動かされる内容でした。
まだ、お読みじゃない方は、できたら1冊目から読んでみて下さい♪
帯にもあるように、『一生モノの課題図書』です!
♪1冊目の感想です。よかったら、こちらも読んでみて下さい♪
13歳になった「ぼく」はそろそろ親離れ
1冊目で11~12歳くらいだった『ぼく』(←著者・ブレイディみかこさんの息子さん)も、13歳。
元底辺中学校に通う『ぼく』の周りでは、大人も子どもも落ち着かず、今日も事件が起こります。
普通の中学生の『ぼく』の日常は、今もまるで世界の縮図のよう。
13歳の『ぼく』の生活をとおしてみる世界には、人種や政治、ジェンダーや経済格差など、社会問題があふれています。
そして著者と『ぼく』は、日々の生活をとおして、日常の中にたくさん転がっている社会問題の種に目を向け、向き合おうとしていきます。
わたしの子どもも12歳。同じような年齢です。
そういうこともあって、私はこの『ぼくはイエロー』が大好きなのかもしれません。
わたしと子どもの最近の会話は、もっぱら『コロナ』と『眞子様&小室さん』の話で話題に広がりがないのですが、それだけ日本が社会問題が少ないということでしょうか?
イギリスほど移民を受け入れておらず、人種の多様性が少ないから?
いやいや、そんなことはないですよね。
わたしの問題発見能力がイマイチなんです。
『ぼくはイエローデホワイトで、ちょっとブルー』のシリーズは、普段、視野狭く、ぼんやり生きている私にとって、とっても刺激的。
普段は見えていない日常生活に潜む問題に気づかせてくれ、考えさせてくれ、さらには印象深いエピソードで心を動かしてくれる本なんです。
ところで、『ぼくはイエロー』のシリーズ、この2巻目で完結のようです。
『ぼく』が親離れして、あまり喋らない年齢になってくるからかな?
寂しいな(--;) 『ぼく』とブレイディみかこさんの成長物語をもっと見たいな。
中学校のソウル・クイーン
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』には、いくつも印象的なエピソードや言葉があります。
そのうち、私が特に印象に残ったものを厳選して2つご紹介します。
1つ目は、ぼくが通う元底辺中学校のソウルクイーンの話。
2章の『A Change is Gonna Come ~変化はやってくる~』のエピソードです。
『ぼく』の通う中学校では、定期的に音楽部の本格的なコンサートが開催されます。
春のコンサートでは、アフリカ系の少女が教会のゴスペルで鍛えたと思われる卓越した歌唱力で、聴衆に衝撃と感動を与える、そんな話です。
僕が通う学校にはアフリカ系の子が少なく、そのゴスペル少女は途中から編入してきたこともあってかなり目立ち、なかなか周りに溶け込めず、女子たちに仲間外れにされて学校に来られなくなっていた時期があったんです。
転校の話すら出ていたのですが、その少女は校長先生の勧めで音楽部に入り、それから毎日学校に来るようになった。
そんな中で行われたコンサートで、彼女は子どもとは思えない、とても成熟したソウルフルな歌唱を披露し、聴衆(保護者など)から物凄い拍手をもらいます。
このシーンでは人種にかかわる問題が提示されるとともに、副校長の言葉を借りて、さりげなく人種の垣根を超えるということを示してくれます。
そしてコンサートの後、アフリカ系少女のお母さん(ターバンを巻いて目立っている)に対して、みんなが『すごい』『卓越している』『今夜のベスト』等と娘さんを褒めたたえる言葉をかけるんですが、そこで、ターバン母さんの言った言葉が素晴らしいんですよね。
「みんな上手だった。みんなで一緒に練習して、みんなでベストを尽くしたからいい演奏になったんだ。あの子はみんなの中の一人に過ぎない」
ターバンの女性はきっぱりとそう言い、満面の笑みを浮かべて廊下の向こう側に手を振った。
(中略)
あの子はみんなの中の一人。
それは謙遜の言葉でなく、ターバンの女性にとってとても重要な言葉なのかもしれないと思った。
彼女たちも、長い時間はかかったが、ここまで来たのだ。
日本でも友達関係で孤立したり、いじめにあったりして同年齢の学校仲間に溶け込めない場合はたくさんあります。
本人はもちろん辛いですが、それをみている親もとってもつらい。
『ぼく』の学校のソウル・クイーンは、長い苦難の時間を過ごした後、自分の得意とするものをきっかけに同年代のソサエティに溶け込めたわけです。
そんなお母さんが発した『あの子はみんなの中の一人』。
すごく重い言葉ではないでしょうか。
人生は続いていく
もう一つは、最終章『ネバーエンディング・ストーリー』に出てくる言葉です。
『ぼく』は小学校のときは、ハイソな雰囲気で成績優秀なのカトリックの小学校に行っていたのですが、中学校は近所の元底辺中学校に通っています。
カトリックの中学校は距離が遠いし、近所の中学校も教育熱心で底辺校を脱して、めでたく『元』底辺校になっています。
そして、見学に行くなどして親子ともども納得して、近所の元底辺中学校に入学したという経緯があります。
ブレイディさんが以前、ぼくに
『カトリックの学校に行かなかったこと、後悔している?』
と質問した際は、迷いもなく
『いまの学校にしてよかった』
と答えていたぼく。
しかし、1年後の今回同じ質問をしたところ、『わからない』との答え。
なんでも
『なんで君みたいな、いい小学校に行っていた子がここに来てるんだ』って教室で言う子がいると
『ああ、僕は大きな間違いを犯しちゃったのかなと思う』。
一方、音楽部でバンドの練習をしていると、『カトリックの学校じゃこれはできなかったと思う』。
そして『ぼく』は続けます。
どっちが正しかったのかはわからないよ。僕の身に起きることは毎日変わるし、僕の気持ちも毎日変わる
(中略)
でも、ライフってそんなものでしょ。後悔する日もあったり、後悔しない日もあったり、その繰り返しが続いていくことなんじゃないの?
そう、10代だけでなく、20代になっても、30代になっても、40代、50代になっても、ライフってそんなものだと私も思う。
私はアラフィフの年齢ですが、それでも40代で至るという『不惑』は遠いんです。
著者のブレイディさんは、13歳にして『ライフ』なんて言うのは時期尚早とは思いつつも、この言葉が出るくらい、息子さんの『ライフ』は、親の知らないところでいろいろ動いているんだろうな、いよいよ息子も本格的な思春期に突入かと思うわけです。
\書店では平積みになってました/
人生の課題図書
日本とイギリスの差について考えさせられるだけじゃなく、普遍的に横たわっている、『社会を信じられるか、信じられる社会か』といったことや、経済格差、差別問題などなど、『ぼくはイエロー』には、考えさせられることが山盛りです。
小難しい切り口ではなく、中学生の子の視点をとおして見えてくる数々の社会問題。
そして心震えるエピソードの数々。
そうしたところが本書の魅力だと思います。
1冊目の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が60万部(今はもっと?)の大ヒットとなったのもわかります。
2冊で完結なのはとても寂しいですが、ブレイディさんの他のエッセイで、より成長した『ぼく』の片鱗をみられることを期待しています。
2冊目からでも十分、堪能できますが、1冊目を読んでいなければ、できれば1冊目から読んで欲しい人生の課題図書です!
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました♬