最近、昼間は暑いですが、朝晩、めっきり冷えるようになってきました。
みなさん、体調は崩されていないでしょうか。
今年は、コロナ騒動があり、健康や命について、いつもよりも考える機会がありました。
先日、偶然見たテレビ番組、NHK・クローズアップ現代プラスの『ALS患者嘱託殺人』についても、多くのことを考えさせられました。
あまりに自分が何も知らなかったということにも、気がつきました。
今回は、そんなALS患者さんに焦点を当てた番組について、書きたいと思います。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、運動神経系が選択的に障害される進行性の神経疾患です。
日本における患者は1万人弱にのぼり、10万人あたり5人程度の有病率とされています。
発症に関連する遺伝子異常がいくつか報告されていますが、その詳細な原因は不明なまま。いままさに研究が進められている疾患です。
イギリスの物理学者、スティーブン・ホーキング博士の存在などによって、病名は比較的広く知らている難病だと思います。
私もホーキング博士の車いす姿をみて、ALSについて多少は知っていると思っていたんですが、それが間違いだったことに気が付きました。
ALSは意識がハッキリしたまま、筋肉を動かす機能が失われていく病気です。
『意識がハッキリしたまま』だんだん体が動かなくなっていく恐怖というのを、番組で患者さんたちが意思伝達装置などを駆使して語っている姿をみるまで、想像したことがありませんでした。
そして、発症から2~5年で、生きていくためには人工呼吸器が必要となる人が多いそうですが、人工呼吸器をつけることを選ぶ人は約3割で、あとの7割の人が人工呼吸器をつけない方を選び、死を迎えるのだとか。
番組の中でも語られていましたが、ALSの過酷なところは病状もさることながら、この人工呼吸器をつけるか否か、つまり
『生きることを続けていくか』『生きることをあきらめるか』
を自分で選択しなければならないところです。
患者の方は、生きるとしても『周りの迷惑にならないように』あるいは『状況によっては』生きたいと、おっしゃいます。
人は誰かの役に立っていると感じられることが、生きる気力につながりますが、体がだんだん動かなくなり、子供が小さいのに一家の大黒柱としてお金を稼げない状態だと、自分の存在が役に立っていると実感しにくいのは、容易に想像がつきます。
本当は生きていてくれること自体が、周りを勇気づけ、幸せにしているはずなんですが、『状況』によっては、本人も家族もそう感じる余裕が持てなくなるのも分かります。
人工呼吸器をつけると24時間、介護が必要な状態になってくるので、短時間しかヘルパーさんに来てもらえなかったりすると、介護する家族の負担たるや相当なもの。
キレイごとではすまされません。
人工呼吸器をつけるかつけないかは、一見、『自己決定』の自己責任と思われがちですが、『自己決定+状況』であると、番組では語られます。
つまり、良い情報にアクセスできれば生きることを選ぶ方向になり、そうでないと生きるのをあきらめる方向に向かう。
良い『状況』をつくる一つとして、『重度訪問介護』という制度があります。
場合によっては24時間介護サービスを受けられるのですが、これも知らない人が多いらしく、知っていてもサービスに地域格差があったり、ヘルパーさんの人手が不足していて、十分にサービスを享受できている人は少ないとか。
常時介護を要する人に対して『重度訪問介護』といった、とっても助かる制度の案内が病院や行政から十分になされていないのも不思議ですが、よさげな制度があっても、財源や人手十分に機能していないようなら、そちらもなんとかならないものかなと思います。
弱っていると、なかなか自分では『困っている』と声をあげたり、有益そうな情報を自らとりにいくのは難しいもの。
やっぱり周りにいる、患者さんやご家族に関わっている人(専門家、非専門家を問わず)からの働きかけが必要でしょう。
アベノマスクを配っているんだったら、こういうところにお金を回してほしいと切実に思います。
最後に、この番組に出ていた患者さんたちご本人や、家族の方々の喋られることが、とても深いことに感動しました。
わたしよりはるかに、『生きること』とはどういうことか、『生きるのをあきらめるとは』どういうことか、と考えつづけてらっしゃるんだろうなと思います。
そこにこの疾患の大変さが出ているようにも思います。
無責任な言い草ですが、一人でも多くの方が生きることを選び取れる状況になればいいと思いました。
今回は、ALSについての番組の感想でした。
ダラダラと書いてしまいましたが、最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。